現代芸術研究所 homeお問い合わせ  
 
 
コラム

空間メディア入門

3-14ライブコミュニケーションの基本原理

2012.11.15

 これに対してライブコミュニケーションは、はるかにルーズです。  1990年にはじめてストーンズが来日したとき、ぼくは連日東京ドームに通ってステージ近くで彼らを見ていました。実はそのとき、ミックとロンの同じようなシーンを目撃したんです。キースがソロをとっているとき、偶然彼らに視線を向けたらその光景に出くわしたわけです。自分だけが二人の関係に気づいたような気がして嬉しかったから、いまでもよく覚えています。  その瞬間、キースを凝視する選択もあったし、映像スクリーンを見てもよかった。でも、そうせずにたまたまロンを見ていたおかげで「発見」できたわけですね。これは監督が切り取ったシーンをシナリオ通りに見せられるのとは似て非なる体験です。  もちろんコンサートだって決められた進行に沿ってリニアに進んでいくわけで、この意味では完パケの一種と言えないこともありません。観客が演出や進行を変えられるわけではありませんからね。  しかし、少なくとも「いつなにを見るか」へのフリーハンドは保証されている。映画のように情報内容はあらかじめFIXされてはいません。しかも演奏しているのは人間だから、内容が一定せずにいつも揺れている。本来の意味での「完パケ」にはなりようがない。  言い換えれば、ライブにはものすごい情報量があるということです。無数の出来事が同時進行していて、観客はそれを自由に選択しながら、それを紡ぐことで自分だけの体験を組み立てている。2時間の間になにを観たかは観客の数だけ違います。  大袈裟に言えば、観客は自ら監督となってシーンを切り取り、編集して文脈をつくっている。これがライブコミュニケーションの基本原理であり、もっとも際立った特徴です。  余談ですが、1955年にはじめてアナハイムにディズニーランドができるとき、ジャングルクルーズに本物のゾウやカバを使いたいと考え、本気で野生動物の飼育調査をしたという話を聞いたことがあります。結果は、生き物は演出できない、つまりすべての観客に同じクオリティ、同じシーンを見せるのは無理だということになって、やむなく機械仕掛けに置き換えたそうです。

 

一覧へ戻る
 
Copyright (C) Institute of Esthetic Research. All Rights Reserved.